私は文章しか書けない

http://bluenwhite.hatenablog.com/entry/2017/01/28/075235

雪について思う事

雪について思うとき、静けさと寂しさの隣に生きているという実感がある。生まれてこのかた25年、雪の降らない町に住んでいたものだから、北海道でいつもよりすこし多めに雪が降って、道路わき2mの雪壁とか、車上30cmの雪のかたまりを目にすると、これはもう重大な災害だという心持ちになる。

 

そんな時たまたまテレビ画面に、ぴかんと晴れて雪どころか雲ひとつない故郷・東京が映されると、こんなところにいたら平和ボケしそうだな、なんて思う。冬の北海道のピリッとした空気や、あらゆるものを飲み込ようにシンシンとふりそそぐ雪がけっこう好きである。薄汚れた壁面を真っ白なペンキで塗り替えるように、不格好な街並みや私の小さな悩みを否応なしに洗いながしてくれるような気がするのだ。

 

そういえば東日本大震災が起きたときの感情について、もうハッキリとは思い出せないのだけれど、悪意のない自然の営みによって人や町が次々と飲み込まれる様子をテレビでながめていて、恐怖と憐れみのかたわらどこかで嬉々としたように思う。日常は嫌になるほど平和で、私たちいつもどこかで変化と刺激を求めている。そんな身勝手な感情をあざ笑うかのように北の大地には今日も雪が降り注ぎ、人々はただ粛々と生きている。

村上春樹のコラム集

村上春樹さんの文章がすきで、だいたい1日に1回くらい著書をひろげる。しかもコラム集ばかり。小説はずいぶん前に1冊読んだきりである。コラムの良いところはなんといっても1話2~3ページくらいで気楽に読めること、そして村上さんの人生観や生き方が飾り気なく記されていることだ。

 

内容は村上さんの好きな音楽や映画のウンチク、トカゲ社会の苦悩、繰り返し切符を失くす話(これには共感した)などで、基本的に教訓みたいな立派なものはない(失礼だ)。なんでもないような出来事を彼なりの見方でじっと観察して、そのものなりの愉快さを見つけてしまう。そうして気づけば、村上さんのごく個人的な体験を身近に感じながら、そうそうと頷いたりしている。

 

そういえば村上さんはあるコラムで「文章には“内容とスタイル”が必要で、これは要するに“生きること”そのものである」というようなことを言っていたけれど、なるほど彼の生き方そのものが「まぁなにごとも愉快にやろうよ」という感じに肩の力がぬけて心地よいのである。

 

なんだか良いところばかり思いあたるけど、実際には「うわー、変な人だな」だけで終わるコラムも多い。特に切符をしまう場所を考えた末に耳にいれて歩いた話とか…。だけどそれも含めて愉快である(結局、ほめてばかりでした)。

 

ちなみに職業的なコラムの書き手をコラムニストと言うけれど、たぶん村上さんは経済的にも意識的にもコラムニストではない。でも今のところいちばん読みたいコラムを書いてくれています。

レタスの話

自転車の荷台にダンボールをのせたお兄さんとすれ違った。ダンボールには緑の字で「グリーンカール」とかかれていた。グリーンカレーならぬ「グリーンカール」。気になって調べてみたら葉先が丸い形をしたレタスのことだった。

 

レタスといえば私はレタスが好きである。大きな葉がくるりと内気に丸まった玉レタスがメジャーだけれど、個人的には赤紫色で苦みのすくないサニーレタスが好きです。軽く炒めたじゃがいもと鶏肉を、新鮮なレタスにのせてバジルチーズ味のドレッシングかけるだけ。それと白ワイン。すごく幸せな気分になる。

 

北海道に移って1年目の夏は、農家の手伝いをしてはレタスをもらってきて、夏から秋にかけて毎日のようにレタスを食べた。本当に新鮮なレタスというのは葉を噛むとほんのり甘い水がじわりとに口に広がる。うまく言えないけれど、砂糖水とは違うエネルギッシュな味がして、ついさっきまで生きていたことがハッキリとわかる。

 

ちなみに葉先がギザギザしたフリルレタスもよくもらったけれど、これはやや険のある見ための通りに水気が少なくてイマイチだ。なんたってレタスは、とれたてのみずみずしいのが一番である。

遠距離恋愛のミカタ

私と彼は、東京と札幌にはなれて生活するようになって1年半になる。いわゆる遠距離恋愛というやつだ。同僚からは決まって「寂しくないの?」と聞かれるけれど、これがそれほど寂しくない。

 

そもそも私は周りにあるものでそれなりに自分を満足させることが得意な人間だし、今どきはスカイプというインターネットサービスを使えば、いつでも顔をあわせて会話ができる。ハイテク、ハイテク。

 

どんな会話をするかというと「太ったんじゃない?」とか「髪切ったねー」とか、本当にあたりさわりのないこと。時にはなにも話さず、しばらく画面をはなれて洗濯を干したりする。まるで同じ部屋にいるように、すごく自然な感じで場の空気を共有できる。

 

そういえば遠距離恋愛の効用として「会ったときに気持ちが盛りあがる」と言う人がいるけれど、感動的な再会シーンはこれまでに一度も経験がない(一度くらいしてみたい)。半年ぶりに会っても、「なんだか久しぶりな気がしないね」という感じで顔を見合わせ、すぐに肩をならべて歩きはじめる。

 

そうそう効用といえば、小さなことで喧嘩することがなくなった。不思議なことに、男女関係は相手をよく知らないときのほうが上手くいく。恋愛初期の、互いを探りあう段階は特に楽しい。巷のうわさは様々だけど、遠距離恋愛、案外いいですよ。

 

 

「これしかできない」

ある平日の昼過ぎに山奥のカフェで人と会っていたら、彫刻家の安田侃さんが現れた。別に仕事をさぼっていたわけではない。そもそも、きちんと仕事をすることとカフェでくつろいだ気分になることは両立できるのだ。

 

そこで何をするでもなく暖炉の前にいる侃さんに、ドキドキしながら声をかけたら、なんとなく彼の自宅兼アトリエに誘われてしまった。ふと目に留まった道端の小さな花を摘んで帰るみたいに、得体の知れない人間を家に招いてしまうなんて、芸術家はわりにひまな職業なのかもしれない。

 

もちろん私は仕事そっちのけでついて行った。これは誰になんと言われようが仕方ない。著名な芸術家には口説き文句なしで女性を自宅へ招き入れてしまう、ある種の特権的な魅力がある。

 

制作途中の作品がならぶアトリエを手持無沙汰にうろつきながら思ったことは、飽き飽きするくらいにどれもこれも表面がつるっとした空豆みたいな形をしているということだ(失礼だ)。不思議に思って聞いてみると、曰く「これしかできない」そうだ。

 

なるほど、英語ができて、中国語もできて、さらにプログラミングまでできる「なんでもできる」人より、案外「これしかできない」から「こればかりやる」人の方が、長い目で見ると特定の分野に詳しくなったり、ひとつの技が磨かれたりして、頭角をあらわすものかもしれない。

 

ちなみに私は「人前で上手く話せない」「金儲けができない」「社交辞令が言えない」とできないことはいくらでも挙げられそうだけれど、逆に「これしかできない」を見つけるのは意外と難しいものである。ともあれ「これしかできない」という生き方はすごくシンプルでカッコいいよね。

「引越し」グラフィティー

大学を卒業して初めての就職を機に東京から札幌へ移り住んだ。

 

地元の不動産屋さんが教えてくれた築20年のアパートで1DK洋室11帖で3万4千円と、これはもう絶対に安い。

 

おまけにすぐ隣には中島公園という広い緑地があって、札幌駅まで地下鉄15分の都市部にありながら静かで落ち着いた雰囲気が気に入っている。家の灯りが少ないので夜暗いのが難といえば難だけど、朝は小鳥のなきごえでめざめることができるし、すごくハッピーだ。

 

人生で初めて引越しというものを経験してみてこれはとてもいいぞと思った。

 

ひとり暮らしの気楽さもさることながら花屋にドラックストア、コーヒーショップにスーパーに弁当屋と歩いて行ける範囲のお店にひと通り顔を出すと頭の中の地図が面的にひろがって、ちいさな世界の王様になったような気分になる。

 

“えへん、ここは吾輩の領土である”という感じだ。(けして口に出したりはしない)

 

でもそろそろ、飽きてきたので次の場所へ引っ越してもいいかななんて思っている。(元来飽きっぽいのである)

 

 

~きょうの「ですよね!」~

「人間というのはべつに大義名分やら不変の心理やら精神的向上のために生きているわけじゃなくて、要するにかわいい女の子とデートしてうまいもの食べて楽しく生きたいと思っているだけである。(村上春樹)」

 

 

文句を言っても仕方がない

冬期、北海道の列車は「車輪凍結のため20分遅れで運行しています」とアナウンスがあって(これは本当に仕方がない)、その後平然と30分も遅れて姿をあらわす。

 

そこで驚いたのが、人々は氷点下の駅構内やホームで白い息を吐きながら文句一つ言わずに待つのだ。(ちなみに暖房の入った待合室なんて気の利いたものはない)

 

氷点下と積雪が日常の北海道では列車の遅延なんて茶飯事で、いちいち気にし始めたらキリがない。日課の雪かきにしても「かいてはつもる、かいてはつもる」の繰り返しだから、「まあ文句を言っても仕方がないよ」ということばかりなのだ。

 

案の定走り出した列車の中で、乗客は芯まで冷え切った身体を抱えてズズズと鼻をすする。まるで水桶に落ちた子猫みたいに全身が震えているのに、誰もかれも苦情を言わない。

 

こうした北海道人の並々ならぬおおらかさ、忍耐強さに、私は素直に驚いたり、退屈したり、苛立ったりしながら、だんだん冬の厳しい寒さにも物を言わなくなりつつある。だって、文句を言っても仕方がないのだ。