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私は文章しか書けない

http://bluenwhite.hatenablog.com/entry/2017/01/28/075235

コミュニケーションのゆくえ

みなさん会社は楽しいですか?私は同僚とのコミュニケーション自体に楽しさを求める人間なので、今の会社における関係性は、なんだか儀式的なところがあって少しつまらないなと思う。それはよく訪れるマックの店員さんとの関係性に、とても似ている。どういうことかというと、共通の目的を達成するための、効率性を優先したコミュニケーションがあたかも儀式のように執り行われるということです。

 

たとえば私はマックに行くと必ずホットカフェラテを注文する。私が200円を差し出すと、店員さんはお待たせしましたと言ってカフェラテを渡してくれる。当たり前といえばそれまでなのだけど、そこではほとんど毎日、おなじやりとりが繰り返される。それが私と彼の関係性のすべてで、それ以上もしくはそれ以下のコミュニケーションはない。これは、安定的均衡点に落ち着いたのだという感じがある。

 

会社でもだいたい同じだと思う。同僚とのコミュニケーションは、おはようございます、お昼行ってきます、お先に失礼します、といった挨拶の応酬に、ときどき、お昼ごはんの内容についてとか、体調は大丈夫ですかなんていう、気遣いの会話も挟まれたりするけれど、基本的には毎日のコミュニケーションが、それ以下に削られることも、それ以上に深まることはなく、(そしてたぶん個人的な興味の有無にかかわらず)同じように繰り返される。

 

なんだか味気ないなぁと思うこともあるけれど、これらはとても理にかなった、効率的なコミュニケーションで、それ以上を求めるほうが無粋、あるいは単なるエネルギーの浪費なのかもしれないなと思ったりもする。だって、マックではカフェラテを飲むこと、その対価をもらうこと、会社では業務を効率的にこなすこと、が第一の、そして唯一わかりやすく、私たちが簡単に共有できる、コミュニケーションの目的だからだ。第一に私がマックの店員だったら、すべてのお客さんに無駄話を持ちかけられても困ってしまう。

 

そうキッパリと、割り切ってしまうことが、ひとつに、大人になるということなのかもしれない。でも私には、どうしてかは分からないけれど、無駄で非効率的な、コミュニケーションの遊びのような部分が必要である。それがないと、なぜだか精神的な幸福感を得ることができない。それなのに周囲は、(もちろん同等ではないにせよ)効率性を優先して無駄な部分をそぎ落としながら、確実にスピードアップしているなと感じる。ふう、いったいぜんたいどこにむかっているのだろう、とすすきの中心街でカフェラテを飲みながら思う。