ためになる言葉を血肉にする 個人的試みの場としてのブログ

http://bluenwhite.hatenablog.com/entry/2017/01/28/075235

寺山修司1

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地下鉄の中で、隣の男に「きょうは晴れると思いますか?」と訊くと、

その男は空も見えないのに窓外を一寸気にしてみるふるをしてから「天気予報では晴れると言っていましたよ」と答えた。

ぼくはその男の意見を訊いたので、ラジオのことを訊いたのではない。腹が立ったので蝙蝠傘でその男を刺し殺してやった。(寺山修司「新・書を捨てよ、町へ出よう」)

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グサッ。わたしは寺山修司に刺殺された男である。案の定、わたしは死ななかった。正確に言えば、肉体的な外傷は何一つ受けなかった。あの日、わたしは普段通りの時間に起床しラジオで一日の天気を聞きながら朝食をとり、家を出た。確かに予報士は「きょうは一日、よく晴れるでしょう」と言っていた。

職場に向かう快速電車の中、隣に居合わせた男に天気予報の模様を伝えたわたしを、あの男は鋭い視線でキッと睨んだ。重大なショックを受けた。目がチカチカして心臓が痛くなった。あの瞬間、わたしは精神的に射・殺されたのだ。

 

あの時わたしはなんと答えることができただろうか、それから幾度なく考えた。そうすると次第に腹が立ってきた。天気予報を当てにするのは僕の経験的な感によるものであって、決して盲目的な権力への迎合ではない。天気予報というものは時々外れることはあるのものの、かなりの高確率で当たると分かっているから、僕の意見として取り入れているのだ。

 

たしかに、「天気予報では晴れると言っていましたよ」という言葉の選び方には不足があったかもしれない。正しくは「天気予報では晴れると言っていましたよ。僕は経験的に天気予報というものをかなり当たるものと実感しているので、僕の意見として伝えますね」である。だが、そこまで言わなくたって現代人なら分かるだろうに。ニュアンスである。わたしは本当に刺殺されなければならなかったのだろうか。考えれば考えるほど、腹が立ってきた。寺山修司という男は歯切れよい論を展開しているようで、案外抜け目だらけかもしれないぞ。