ためになる言葉を血肉にする 個人的試みの場としてのブログ

http://bluenwhite.hatenablog.com/entry/2017/01/28/075235

寺山修司2

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ところで、ぼくの家ではジルという犬を飼っている。このジルは、ふだんは鎖につながれているために行動半径が限られていて、ほとんど、どこへも行くことができない。ただ、鎖の外へあこがれている一心であるが、「それでは」と思い直して鎖を放してやっても、決して海外旅行にも行かないし、遠出もしない。(中略)はじめ、ぼくはジルのことをやや低能なのではないかと考えたりもしたが、結局は体制順応型の貞淑ないぬであることがわかってがっかりした。そして、青年たちの「自由」観も、ジルのそれとほとんどよく似すぎていて、何ら新しいヴィジョンを持っていないということを感じるや、さらにいっそうの失望をすることになった。                                                              

 

(寺山修二「新・書を捨てよ、町へ出よう」)

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現代において青年が「自由」を手に入れることはそう難しいことではない。

 

大学の長期休暇を利用して、とある青年は東京を脱出し東北を訪れることにした。鉄道列車の車窓から見える青々とした田んぼとみかんの花。隙間風が頬に優しく吹く。こうした小旅行はいつだって容易に青年を、解放の地、自由の草原へ連れて行く。

 

だが、寺山修司の言葉は、青年の目に見える情景を一変させる。車中を見渡せば、そこにいるのは妄想にふける孤独な老人。田園風景に佇むのは人ならずカラスの影ばかり。平穏が充満した大気を吸いあげ甘い溜息をつくだけの自己…。どこへ行くのですか?と相席の老女に問われれば、本州の最北端へ…と答えてみるが、いや、本当の行き先なんてわからない。

 

ならば!青年が、片田舎の2両列車で見出した行き先を持たない「自由」とは、現実に足のつかない、孤独な妄想にすぎないのではないか!

 

 

都市を捨てる鉄道列車の青年

駆け抜ける自由の草原

灰色の影に行き先を訊かれ窮する心は

歓迎されざる生涯の伴侶